2009年05月20日

The Four Coquettes "Sparkle And Shine" 1961

calquettes trim1.gif1950〜60年代のオールディーズをアトランダムに聴いていると、ふっとジム・ピューター(Jim Pewter)氏のちょっとエキサイティングな語り口が重なって聴こえることがある。ジム・ピューター氏とは、ラジオ、FEN(現AFN)の音楽番組「ジム・ピューター・ショー(Jim Pewter Show)」のディスク・ジョッキーである。この番組を、わたしは10代後半から20代半ば頃まで約10年間に亘って聴いていた。さらにテープに録音して何度も聴いていた。何しろ本場のロックンロールやティーン・ポップス、はたまたR&Bやドゥー・ワップをガンガンかけてくれるので、当時日本でほとんど聴くことのできなかった珍しい曲を聴くことができた。(この辺の事情については、当ブログ“The Timetones "Pretty, Pretty Girl" 1961”の記事中にやや詳しく記述したのでご参照を)

この番組では「ああ、またか」と思えるくらい繰り返しかかった曲があった。きっとジム・ピューター氏のお気に入り曲だったのだろう。それらの曲は、彼の語り口とともによく耳に残っており、聴くたびに冒頭の如くの幻聴(?)をともなうのかもしれない。
ところで、ジム・ピューター氏は、今もご健在なのだろうか?

この番組でしつこく何度もかかった曲(今、思いつくまま)
・The Timetones "Pretty, Pretty Girl" 1961(紹介済)
・The Clovers "Devil Or Angel" 1955
・Chuck Miller "The House Of Blue Lights" 1955(いずれ紹介したい曲)
・The Shields "You Cheated" 1958
・The Four Coquettes "Sparkle And Shine" 1961
・The Skyliners "Since I Don't Have You" 1959

今回はこの中から、フォー・コケッツ(The Four Coquettes)「スパークル・アンド・シャイン(Sparkle And Shine, 1961)」を紹介してみたい。この曲は、ローカル・ヒットしたが、全米で知られたわけではない。また当時日本で紹介されたかどうかも不明である。にもかかわらずオールディーズ・マニアの間ではよく知られている。書籍資料やネット検索では見つけられなかったが、最近この曲を収録した海外CDのライナー・ノーツなど参考に紹介しておく。

1960年、カルフォルニア・ロス・アンジェルス(Los Angeles, California )の女子大生4人(Judi Hersh、Carol McConkey、Muffy Cohan、Mary Anne Lucas)によって結成された。タレント・ショーなどに出演していた彼女らを見出だしたのは、ヒスパニック系の歌手 Vic Diaz で、彼はブルース・べラード(Bruce Bellard)にこのガール・グループを紹介した。べラードは、フォー・プレップス(The Four Preps)のメンバーで、同じくメンバーのグレン・ラーソン(Glen Larson)とともに音楽プロダクションを立ち上げていた。フォー・プレップスは何曲かヒット曲を持つ白人男性コーラス・グループで、すでに全国的な地位を確立していた。ただ、人気衰退を考えて会社経営に参入したらしい。
1961年、ブルースがマネージャーとなり、彼の書いた「スパークル・アンド・シャイン」をキャピトル(Capitol)からリリースした。この曲は、ロス・アンジェルスで第6位の好成績をおさめたが、全米ヒット・チャート(Billboard)107位とあまり振るわなかった。同じ年、ケーシー・ヤング(Kathy Young & The Innocents)もこの曲をカヴァーしている。
その後、グループ名をフォー・カルケッツ(The Four Cal-Quettes)と改め、キャピトルから3枚、リバティ(Liberty)から1枚、シングル・リリースした。いずれもヒットすることはなく、1963年に解散したらしい。

The Four Coquettes
Sparkle And Shine / In This World (Capitol 4534) 1961

The Four Cal-Quettes
Star Bright / Billy My Billy (Capitol 4574) 1961
I'm Gonna Love Him Anyway / Most Of All (Capitol 4657) 1961
I'll Never Come Back / Again (Capitol 4725) 1962
Movie Magazines / I Cried (Liberty 55549) 1963

なお、彼女らの写真集が卒業大学同窓ページにあった。「アゲイン(again)」(MIDI)のメロディとともに、なかなかいい雰囲気のサイトなのでぜひご観賞を。
 http://unihi61.com/FourCalquettes.htm

Sparkle And Shine, 1961


その他のYouTube動画
In This World, 1961
 http://www.youtube.com/watch?v=cdZ6EnNgzX4
Star Bright, 1961
 http://www.youtube.com/watch?v=-9hGU4ZX5Z0&feature=PlayList&p=00666A41BF2388FA&playnext
=1&playnext_from=PL&index=1
I'll Never Come Back, 1962
 http://www.youtube.com/watch?v=dT6Nhdl8248

Kathy Young & The Innocents "Sparkle And Shine"1961(参考)
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2009年03月05日

Ann Cole "Have Fun" 1962

Ann Cole 8.jpgもうだいぶ前(10年以上前か…)、若い頃よく入り浸っていたレコード店を久しぶりに覘いてみたときのこと。「R&Bコーナー」という棚が設けてあって「あなうれし」と早速飛びついた。パラパラと見ていたが、ジャケットの雰囲気がまったく新しい、知らないアーティストばかり。店員さんに「リズム・アンド・ブルースなんでしょ、ここ?」って聞くと、やや年長の店員さんが「最近のもリズム・アンド・ブルースって言うんですよ」とこちらの戸惑いを見透かしたようにちょっと苦笑して答えてくれた。これだけのスペースを割いているんだから新しい黒人音楽だよねと納得はしたが、しかし、なんでまた同じジャンル名 ― 1950年代の古くさい黒人音楽 ― にしているんだろうと納得のいかない気持ちも抱いたことを覚えている。

新しい黒人音楽を聴く機会は少ないが、ときたま耳に入ってくることもある。あの時代(1950年代)のR&B(リズム・アンド・ブルース)と同じ範疇(カテゴリー)には入るのだろうけど、まったく異なる音楽のように聴こえる。古い黒人音楽を長く聴いてきたわたしの耳にはやはり馴染めない。時代が違うのだから仕方ないとは思う。でも、R&Bは、ブルース、ゴスペル、ソウル・ミュージック、あるいはブラック・コンテンポラリーなどと同様、一時代を築いた音楽世界だった。のちの大衆音楽にも多大な影響を与えてきた固有のジャンルであり、音楽用語としても確立しているはず。なのに最近の黒人音楽になぜ同一ジャンル名を施しているのだろう? 混乱を招くだろうし、第一、すごい違和感を覚えるのだが…。音楽業界はなぜ気を利かせて別の命名にしなかったのか、いささか不可解でもある。それとも、新しい黒人音楽に「R&B」と名付けなければならない必然的な理由でもあったのだろうか?

ところで、1950年代のR&Bにきちんとした定義でもあったのかと問われれば答に窮する。実際、1940年代に都市部で台頭してきた「ジャンプ・ブルース(Jump Blues)」とどう聴き分けたらいいのか、そのジャンプ・ブルースも「シティ・ブルース(City Blues)」や「アーバン・ブルース(Urban Blues)」などとどう区分したらいいのかよくわからない。一方、1950年代末から60年代初頭に興ったソウル・ミュージック(Soul Music)は、その初期においてR&B全盛期とほとんど重なって登場してきたためか明瞭な区別もつけにくい。
では、そういったジャンル分けは言葉の遊びのようなものでまったく意味がないのかと言われれば必ずしもそうではない。それぞれの音楽がジャンル分けされたのは、やはり、社会的、地域的、音楽的、時代的にエポックメーキングな事情を反映しているからだろう。

そういった観点からR&Bをちょっと眺めてみる。
もともとブルース(Blues)は全米各地域で発展してきたものだったが、第二次世界大戦後、黒人の都市部への移動などで独自の黒人音楽が興った。これが前述のシティ・ブルースやアーバン・ブルースと呼ばれる所以だろう。また、従来の(古典的な)ブルースに比べ、ジャズ(Jazz)で用いられるホーン楽器・電気楽器の音響効果や、ブギウギ(Boogie Woogie)のリズム、ゴスペル特有のシャウト(Shout)唱法など採り入れ格段に強いビート感、激しいジャンプ感を生んだ。そんな音楽的特徴からジャンプ・ブルースと呼ばれるようになったのだろう。
そして全米に広く浸透していくとともに白人層にも認識されていくわけだが、レイス・ミュージック(Race Music;人種音楽)という表現はあまり好ましいものではなかったためか、1949年、大衆音楽誌・ビルボード(Billboard)はリズム・アンド・ブルース(Rhythm And Blues; R&B)という名称に置き換えた。これがR&Bと呼称される始まりとなった。
1950年代に入るとR&Bはますます発展・拡大していくことになるが、とりわけ、ロックンロール(Rock'n'Roll)・ブームの原動力となり白人社会に進出していった。1950年代中期・後期にはチャック・ベリー(Chuck Berry)、リトル・リチャード(Little Richard)、ファッツ・ドミノ(Fats Domino)、レイ・チャールズ(Ray Charles)、ルース・ブラウン(Ruth Brown)、クライド・マックファーター(Clyde McPhatter)、ラヴァーン・ベイカー(LaVern Baker)、ロイド・プライス(Lloyd Price)ら黒人R&Bスターが全国的に人気を博した。さらに、ストリート・コーナー・ハーモニー(Street Corner Harmony)から発展したドゥー・ワップ(Doo Wop)が大流行し、夥しい数の黒人ヴォーカル・グループが生まれた。R&Bは、まさに当時の全米音楽市場の主導権すら握ってしまう様相を呈した。ドゥーワップは、ホワイト・ドゥー・ワップ(White Doo Wop)、そしてドリーミーなティーン・ポップス(Teen Pops)などへと引き継いでいったが、ロックンロールの衰退とともに、R&Bは立ち停まってしまうことになった。
1950年代末、黒人音楽であるR&Bが、ロックンロール路線に乗ってコマーシャリズムに走りすぎ、享楽的なエンターテインメントに堕落してしまったという反省や自戒が一部の黒人の間に芽生えていた。黒人本来の音楽 ― 原点に戻ろうという一種の民族意識や、当時盛り上がっていた公民権運動の影響などあったのかもしれない。いずれにせよ、これがソウル・ミュージック誕生のキッカケとなった。ソウルはその名称を残したまま70年代以降また別の音楽へと変化していくが、初期においては、かってのゴスペル・ミュージックを想起させるような「心と魂(Heart & Soul)」を、R&Bで培った強いビートに乗せて熱く歌い上げようとするものであった。

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一番好きな音楽ジャンルは何だろうかと考えてみた。もちろん、どんなジャンルでも素晴しい曲はたくさんあって絞り込む必要はないのだけれど、長い間、1950年代から60年代の大衆音楽を聴いてきた中で、とりわけ黒人音楽への想いは熱かったように思う。ジャズやブルース、ドゥー・ワップもソウル・ミュージックも夢中になって聴いていた時期はあったが、今だ強く惹かれ興味深く聴いているのが 1940年代後半から1950年代のジャンプ・ブルース〜R&Bかもしれない。ちょうどロックンロール旋風が興る前夜の、あまり陽の当たらない時期の黒人音楽である。日本ではとくに不人気の分野らしく、CDレコードの販売規模はきわめて小さく、一般のレコード店ではあまり扱われておらず、音源収集も思うにまかせないけれど、その歴史的価値、音源の入手困難さゆえに聴きたいという気持ちが強くなってきたのかもしれない。

今回は、女性R&B歌手、アン・コール(Ann Cole)を採りあげてみた。マディ・ウォーターズ(Muddy Waters)のヒット曲”Got My Mo-Jo Working (But It Just Won't Work On You), 1957”のオリジナル歌手として少しばかり知られている以外ほとんど無名に近い。彼女は、ゴスペル〜R&Bと1950年代の黒人音楽とともに生き、ソウル・ミュージックの旗手のひとりと期待されていた。そんな彼女の音楽と、その足跡を紹介してみたいと思った。
なお、当初、表題曲を50年代のR&B曲にしようと思っていたが、ソウル・ミュージック、とくにレディー・ソウルに凝っていた一時期に好んで聴いていた”Have Fun, 1962”の方を選んでみた。R&B歌手ではあるけれど、たった2曲しか歌っていないとは言え、彼女の真価はソウル・ミュージックにあったのではないかと、個人的には思うのである。

Ann Cole 7.jpgアン・コールは本名をシンシア・コールマン(Cynthia Coleman)といい、1934年1月24日(29日という説もある)、ニュー・ジャージー州 Newark に生まれた。父は有名なゴスペル・グループ、The Coleman Brothers(1918年結成)のメンバーで、彼女は幼少の頃から父や叔父らの歌を聴いて育った。そして12歳になると、教会で歌ったり、父親たちとコンサートに出演した。
1949年、彼女が15歳になったとき、従兄弟らとともにゴスペル・グループを結成、グループ名を The Colemanaires(Cynthia Coleman, Joe Walker, Sam Walker and Wesley Johnson)と名乗った。リード・ヴォーカルはアンが担当、全米主要都市を約2年間にわたって巡業した。
1953年から54年にかけて、彼らは名門アポロ(Apollo)レーベルの傘下 Timely で5枚の 78回転シングル(一枚はApollo盤)を吹き込んだ。この間、アンは個人名義でも3枚録音している。いずれもヒットすることなく終わってしまった。またこの間に、彼女は、The Three Kings 、The Claudiettes というヴォーカル・グループを率いて2レーベルから一枚ずつリリースした記録も残っているが、それらに関することは不明。
アンの歌声を耳にして強く惹かれた人物がいた。バトン(Baton)・レーベルの Sol Rabinowitz である。彼は無名の新人を探し求めていた。バトンは、"A Thousand Stars"のヒットを放ったリヴィリアーズ(The Rivileers)や、大ヒット曲”Lonely Nights”を歌った黒人女性グループ、ハーツ(The Hearts)を擁するニュー・ヨークの中堅レーベルである。アンはこのレーベルと専属契約を結び、ゴスペルから時の黒人音楽、リズム・アンド・ブルース(R&B)に転向することとなった。
1955年から58年にかけて、このレーベルで8枚のシングル盤をリリースした。デビュー曲の”Are You Satisfied ?”はビルボード誌、キャッシュボックス誌ともにR&Bチャート10位と幸先のよいスターを切った。4枚目の”In The Chapel”は14位と健闘、5枚目はちょっとしたエピソードとともに思わぬ展開が待っていた。

Got My Mojo Working 4.jpg1957年初め、シカゴ・ブルースの巨人、マディ・ウォーターズ(Muddy Waters)と南部を公演旅行したとき、その5枚目、すでに録音はしていたけれどまだ発表していなかった”Got My Mo-Jo Working(But It Just Won't Work On You)”を、マネージャーの Sol Rabinowitz の警告があったにもかかわらず、マディのバンドをバックに歌ってしまった。この曲を聴いたマディはいたく気に入りチェス(Chess)・レーベルに頼んで録音してしまった。結局、アン・コールのリリースとほぼ同時に発売され、同じ週のR&Bヒット・チャートにランキング入りした。マディ・ウォーターズは7位、アン・コールは3位まで上昇した。アンにとっては最大のヒット曲となったが、マディにとっては「フーチー・クーチー・マン(I'm Your Hoochie Coochie Man, 1954)」とともに定番のレパートリー曲となった。
マディに歌われたことによって有名となったこの曲は多くのカヴァー版を生んだ。ちなみにカヴァーした主な歌手、グループ、ジャズ演奏者らを記しておく。ルイ・ジョーダン(Louis Jordan)、コンウェイ・トゥイッティ(Conway Twitty)、マンフレッド・マン(Manfred Mann)、ゾンビーズ(The Zombies)、キングスメン(The Kingsmen)、ポール・リビアとレイダース(Paul Revere & The Raiders)、ジョニー・リヴァース(Johnny Rivers)、ジミー・スミス(Jimmy Smith)、アート・ブレーキー(Art Blakey)、カーラ・トーマス(Carla Thomas)、エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley)、B.B.キング(B. B. King)バディ・ガイ(Buddy Guy)、オーティス・ラッシュ(Otis Rush)ら。その錚々たる顔ぶれにちょっと驚かされる。また、2004年のローリング・ストーンズ誌(Rolling Stone magazine)”500 Greatest Songs of All Time”の359位に選ばれている。
この曲は、プレストン・フォスター(Preston Foster)が作詞・作曲したもので、オリジナル歌手はアン・コールなのだけれど、マディ版に若干の歌詞の違いがあったり、またチェスがこの辺の事情を知らなかったためか、作者をマディ・ウォーターズと主張したため訴訟問題となった。裁定はフォスターが作者と認められたが、その後も著作権問題で両者は争っているという(最新情報ではどうなっているのか不明なので興味ある方は調べてみてください)。
なお、アン・コールは、この曲のおかげでキャッシュ・ボックス誌の1956年度「最も有望な新人女性R&B歌手(Most Promising New Female R&B Vocalist)」に選ばれた。

その後、ファッツ・ドミノとのデュエット盤(Imperial 5444 のB面)を吹き込んだりしたが、ヒット曲に恵まれず、1958年に彼女はバトンを去った。以降、APT、Sir、MGMなどを転々としながら何枚かリリースするがいずれも不発に終わった。
どういう経緯なのか不明だが、1962年、彼女は名門レーベル・ルーレット(Roulette)で吹き込むことになった。リチャード・バレット(Richard Barrett)、彼は1950年代の最も成功した黒人女性ヴォーカル・グループ、シャンテルズ(The Chantels)のヒット曲の多くを手がけ、マネージャーも兼ねる人物であった。その彼がプロデュースを担当した。A面は、同じ年 R&Bチャート6位まで昇ったエタ・ジェームズ(Etta James)の”Stop The Wedding”のアンサー・ソング、”Don't Stop The Wedding”で、全米99位を記録した。彼女にとっては初めてのポップ・チャートのランク・インであった。B面の”Have Fun”はR&Bチャート21位まで上昇した。2曲とも新時代のソウルフルな佳曲ではあったが、これが彼女の最後のシングル・リリースとなった。
1960年代中頃としか記録にはないが、彼女は自動車事故に遭いかなり深刻なダメージを負った。以後車椅子で生活することになり再び音楽活動に戻ることはなかった。およそ20年経た1986年11月、故郷の Newark でほとんど誰にも知られることなくその生涯を終えた。享年51歳であった。

[ディスコグラフィー]
The Colemanaires
Old Ship Of Zion (Part 1) / Old Ship Of Zion (Part 2) (Timely 101) 1953
Joy In The Prayer Room / Somebody Saved Me (Timely 102) 1953
I'll Fly Away / When The Pearly Gates Unfold (Timely 103) 1953
Be Ready When He Comes / Out On The Ocean Sailing (Timely 105) 1954
This May Be The Last Time / I Cannot Understand It (Apollo 308)- 1954 (1957)

Ann Cole (with Howard Briggs Orchestra)
Danny Boy / Smilin' Through (Timely 1006) 1954
Oh Love Of Mine / I'll Fina A Way (Timely 1007) 1954
Down In The Valley / So Proud Of You (Timely 1010) 1954
Since I Fell For You / Then You Taught Me How To Cry (Timely 1012) 1954 unissued

Ann Cole with The Three Kings
The Fishin' Song / Adam Had 'Em (Record Specialties 47-624/625) ?

Ann Cole With The Claudiettes
Please Forgive Me / I Want To Be A Big Girl (Mor-Play 701) 1955

Ann Cole (with McRae Orchestra)
Are You Satisfied ? / Darling Don't Hurt Me (Baton 218) 1955
Easy Easy Baby / New Love (Baton 224) 1956
My Tearful Heart / I'm Waiting For You (Baton 229) 1956

Ann Clark(アン・コール本人かどうか未確認)
Those Lonely, Lonely Nights / I Had A Dream (Ace 512) 1956

Ann Cole with The Suburbans
In The Chapel / Each Day (Baton 232) 1956
Got My Mo-Jo Working (But It Just Won't Work On You) / I've Got A Little Boy (Baton 237) 1957

Ann Cole
No Star Is Lost / You're Mine (Baton 243) 1957

Fats Domino with Ann Cole(B面のみ)
What Will I Tell My Heart / When I See You (Imperial 5454) 1957

Ann Cole
Give Me Love Or Nothing / I've Got Nothing Working Now (But My Real Old Fashioned Love) (Baton 247) 1957
Love In My Heart / Summer Nights (Baton 258) 1958

Ann Cole (with Sammy Lowe Orchestra)
Nobody But Me / That's Enough (Sir 272) 1960
A Love Of My Own / Brand New House (Sir 275) 1960
In The Chapel / Plain As The Nose On Your Face (MGM 12954) 1960

Ann Cole
Have Fun / Don't Stop The Wedding (Roulette 4452) 1962

[曲について]
彼女のゴスペル曲のすべては、78回転シングル盤のみではあるけれど Timely に残されている。原盤入手は困難だろうし、また対応できるプレーヤーもないので聴くことは難しい。しかし、2001年にBluecityからCDで集大成盤が復刻された。また、Baton のR&B曲は、10年ほど前 ACE から”The Baton Label Sol's Story”というコンピ盤が発売されたので、完璧とは言えないまでもこの2枚でほぼ全容を聴くことができる。また YouTube でも主要曲を楽しむことができる。Roulette の2曲は、ソウル・ミュージック系再発レーベルのいくつかのコンピ盤に収録されている。

Have Fun, 1962 … 小品ながらも情感たっぷりのソウル・バラード。マキシン・ブラウン(Maxine Brown)やカーラ・トーマス(Carla Thomas)の歌と重なる。イントロの男声ナレーションは、もしかしたらプロデューサーのリチャード・バレットかも。彼はシャンテルズをバックに歌っていたからだ。


Don't Stop The Wedding, 1962 … ゴスペルで鍛えた彼女の声や唱法は、来たる時代のソウル・ミュージックにピッタリだと思うのだが、それにしても残念・・・。


My Tearful Heart, 1956 … ミディアム・テンポのR&Bバラードであるが、私がひそかに彼女の最高の傑作じゃないかと思っている作品。ルース・ブラウンやラヴァーン・ベーカーよりちょっと線の細いのが残念だが。


Got My Mo-Jo Working (But It Just Won't Work On You), 1957 … この彼女の歌がこの曲のオリジナル。ジャンプしまくる彼女とバックアップ・コーラスのサバーバンズの掛け合いがまた素晴しい。


(参考)Muddy Waters & James Cotton - Got My Mojo Working, 1966 … 少々新しいが、マディの歌う映像を観ていただきたいのでライヴをアップ。ジェームズ・コットンのハーモニカもいい。


Summer Nights, 1958 … Baton での最後の曲。こういう、彼女らしくない、あまり特徴のない曲を歌い出したらやはり落ち目なのかも。ちょい哀しそうな歌声、個人的にはけっこう好きなのだけれど…。

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2009年01月31日

The Four J's "Here Am I Broken Hearted" 1964

ロックへの視点.gif昨年暮、ダンボール箱の本を整理していたらちょっと懐かしい本が出てきた。パラパラめくっていると紙が一枚ハラリと落ちてきて、何だろうと思って見たとたん、さらなる懐かしさが込み上げてきたのだった。

まず、その本について紹介しておく。
昭和47年(1972)に音楽之友社から出版された「ロックへの視点」。中村とうよう、三井徹の両氏によるカール・ベルツ(Carl Belz)の”The Story Of Rock”(1969)の全訳である。訳者の中村とうよう氏はあとがきで「学問的な体系をもったロックの本格的研究書の草分け的存在」と評価していた。
当時、1950〜60年代のアメリカ音楽に夢中になっていた私にとって、この本はそれらの音楽を概括的、歴史的に把握するための拠りどころであった。また、巻末の参考レコード(1953-1963)のリスト(300余曲)はエアチェックや音源収集のための指針と言ってもよく、ずいぶん活用させてもらった。

さて、そのハラリと落ちてきた紙とは、手書きコピーで、タイトルに「懐メロコンサート 予定曲」とあり、50余りの曲名と歌手・グループがリストされたもの。右肩余白に「昭和46年(1971年)9月11日」と記され、曲名の頭に何やら記号で私がメモした形跡があった。

この日、私は東京・銀座の山野楽器で開催された「懐メロコンサート」(レコード・コンサート)に参加したようだった。もう40年近く前のこと、会場の雰囲気などはほとんど憶えていない。同好の友人K君と一緒に行ったんではなかったっけ。
主催は「ミュージック・ライフ」(1998年に休刊)を発行していた新興音楽出版(現シンコーミュージック・エンタテイメント)だったと思う。若い男性社員二人がレコードを回しながら曲やアーティストの解説をしてくれたことを憶えている。

さて、どんな曲を聴かせてもらったのか、曲目リストから一部抜粋して、手書きコピーのとおり記しておく。

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懐メロコンサート 予定曲(曲目 変更の可能性極大)

◎ R&Bコーナー
 ゼア・ゴーズ・マイ・ベイビー(ドリフターズ)
 デューク・オブ・アール(ジーン・チャンドラー)
 ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム(サム・クック)
 スタンド・バイ・ミー(ベン・E・キング)
 内気な17才(エセックス)
 ロコモーション(リトル・エバ)
 テル・ヒム・アイム・ノット・ホーム(チャック・J)
 ・・・・・(以下省略)

◎ ロッカ・バラード・コーナー
 内気なジョニー(ジョニー・ソマーズ)
 プリンセスではないけれど(ペギー・マーチ)
 涙のバースディパーティ(レスリー・ゴーア)
 カム・バック・トゥ・ミー(ロイ・オービソン)
 トラベリン・マン(リック・ネルソン)
 ジョニー・エンジェル(シェリー・フェブレー)
 燃ゆる想い(ジャミー・クー)
 ・・・・・(以下省略)

◎ その他 ホット・ロッド、サーフィン特集

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リストを眺めると、オールディーズとして有名すぎる、言わば耳タコ曲ばかり。リアルタイムでよく聴いた大ヒット曲が多いけれど、当時、ラジオのFEN(米軍極東放送、現AFN)でしか聴けない本場のヒット曲もちらほら。選曲が幸運にも当時の私のお気に入り曲ばかりだったようで、会場での私の興奮がちょっと甦ってきたりもする。このリストには当時のお気に入り曲に「A」という印をつけたようだ。それほど多くないが、書き出してみると、私のいちばん好きなタイプがよくわかろうというもの(笑)。

 ゼア・ゴーズ・マイ・ベィビー(ドリフターズ)
 デューク・オブ・アール(ジーン・チャンドラー)
 ハンディ・マン(ジミー・ジョーンズ)
 Mr.ブロークンハーテッド(フォージェイズ)
 バタフライ・ベィビー(ボビー・ライデル)
 オーバー・ザ・マウンテン(ジョニーとジョー)
 可愛いドンナ(ダイオン)
 レッツ・ゴー・ストーリ(クレイグ・ダグラス)
 クライ・クライ・クライ(ジャック・スコット)
 涙の日記(バリー・ダーベル)
 コーヒー・デイト(エディ・ホッジス)

このコンサートで初めて聴いたのは「Mr.ブロークンハーテッド(フォージェイズ)」と「バタフライ・ベィビー(ボビー・ライデル)」の2曲。すっかり私のお気に入りとなって、当時、必死になって音源を探したものだった。

The Four J's.jpg今回は、そのうちの1曲、「Mr.ブロークンハーテッド(フォージェイズ)」を採りあげてみた。
この曲、「ミスター・ブロークンハート(Here Am I Broken Hearted, 1964))」は典型的なホワイト・ドゥー・ワップ(White Doo Wop)曲。1963年末に録音、64年発売と、ホワイト・ドゥー・ワップ全盛が1960年前後のことだから、あまりに遅すぎる新譜。アメリカではビートルズ(The Beatles)らブリティッシュ・ロック全盛を迎えようとしていた時代だ。やはりヒット・チャートにランク・インした記録は見つからない。日本では昭和39年(1964)にキング・レコードから「ミスター・ブロークンハート/恋されて」(HIT-312)のシングル盤が発売された。ラジオで聴いた記憶もなければ、ヒットした形跡もない。どうやら「遅れてきたドゥーワップ」のようであった。

このフォー・ジェイズが結成されたのは、たぶん1959〜60年のことと思われる。フィラデルフィア出身の4人組。フランキー・アヴァロン(Frankie Avalon)とともにチャンセラー・レーベル(Chancellor)のドル箱・スターで、後に青春(コメディ)映画の人気スターとなったフェビアン(Fabian)の専属バック・コーラスとしてデビューした。当初はファビュラス・フォー(The Fabulous Four)と名乗り、コンサート・ツアーなどに同行していた。この間(1960〜62)、チャンセラーから7枚のシングルをリリースしているが、ヒットはなかったようだ。フェビアンの映画界転向にともない、彼らはジャミー・レーベル(Jamie)に移籍、「ミスター・ブロクンハート」を含む2枚のシングル盤をリリースしたがヒットしなかった。その後のこのグループについては不明である。

以下、判る範囲でフォー・ジェイズのディスコグラフィーを記しておく。当時のドゥー・ワップ・グループは、メンバー交代、グループ名変更、レーベル移籍、同名異グループの存在などの事情で確かな情報を提示しにくい。また、ほとんど情報はないのだけれど、たとえ断片的な情報があってもあまり信用できるものではない。もはや不確かな情報を網羅せず、私の判断で、たぶんそうであろうと思われる情報のみ記述させていただく。

The Fabulous Four
Mister Twist / In The Chapel In The Moonlight (Chancellor 1062) 1960
Let's Try Again / Precious Moments (Chancellor 1068) 1961
Sounds Of Summer / Why Do Fools Fall In Love (Chancellor 1078) 1961
Betty Ann / Prisoner Of Love (Chancellor 1085) 1961
Everybody Knows / I'm Coming Home (Chancellor 1090) 1961
Everybody Knows / Mister Twist (Chancellor 1098) 1961
Forever / It's no Sin (Chancellor 1102) 1962

With Fabian
The love that i'm giving to you / You're only young once (Chancellor 1079) 1961

The Four J's
Here Am I Broken Hearted / She said that she loved me (Jamie 1267) 1964
By Love Possessed / My Love My Love (Jamie 1274) 1964

「ミスター・ブロークンハート」は、「クライ(Cry, 1951)」や「雨に歩けば(Just Walkin' In The Rain, 1956)」などの大ヒットで日本でもよく知られているジョニー・レイ(Johnnie(Johnny) Ray)の1952年ヒットの同名曲カヴァーである。ジョニー・レイの歌がオリジナルかどうかわからないが、フォー・ジェイズによるドゥー・ワップ・アレンジはとても同じ曲とは思えない。参考までにYoutubeからジョニー・レイ版もアップしておくので聴き比べてみてほしい。

Here Am I Broken Hearted, 1964


(参考)Johnnie Ray, 1952



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2008年07月06日

The Cinderellas "Yum Yum Yum" 1959

YouTubeは、懐かしい曲とともに当時の貴重なフィルムや写真などあってけっこう楽しめる。でも、実物のドーナッツ盤写真のみの動画も多い。これらは、曲以外の情報がない場合もあるのだろうけど、しばしばレコード・コレクターである投稿者ご自慢の収集品展示であったりもする。興味のない人にはちっとも面白くないのだけど、マニアやコレクターには垂涎の的ともいうべきレコード盤の映像なのかもしれない。

さて、記事としてまだアップできずにいる何編かの書き止(さ)し原稿を持て余しながら、安直に記事にできそうな曲/アーティストはないものかと新着動画をチェックしていたら、オヤっという曲に出会った。シンデレラス(The Cinderellas)の「ヤム・ヤム・ヤム(Yum Yum Yum)」の投稿動画。聴きながら思い出したのは、70年代中頃オールディーズ・ファン・クラブに出入りしていた頃に交わした主宰者との会話。この曲の日本盤シングルを聴かせていただいたとき、私は初めて聴いたにもかかわらず「この曲けっこうヒットしたんでしょう?」と訊いた。すると彼は、ニヤリとして「それがゼンゼン」と言った。驚いた私はなんでヒットしなかったのかと問うたが、それは無意味な質問で、そのまま30年以上も経ってしまった。そして今、YouTube で再会し、また、なんで埋もれちゃったのかなと思いを馳せたりしたが、リリースが1959年と意外に古いことに気づき、なぜヒットしなかったのかピンときたのだった。

まだロックンロール熱の醒めやらぬ1950年代末、アメリカン・ポップスは大きな転換期を迎えていた。暴力と反抗のロックンロールは影をひそめ、替わって甘ったるい恋愛賛歌が蘇生、ポップ・ミュージックの復活である。従来の白人の伝統的なアメリカン・ポピュラー音楽がよりドリーミーに、よりポップになり、ティーン・サウンド新時代を迎えようとしていた。
1959年前後はその過渡期。ちょっとチグハグではあったけど、ユニークな曲がヒット・パレードを飾り、来たる時代を先導し活躍する歌手やプロデューサー、ソングライターが多数輩出した。たとえば60年代に一時代を築いたフィル・スペクター(Phil Spector)であり、バリー・マン(Barry Mann)、キャロル・キング(Carole King)、ニール・セダカ(Neil Sedaka)らのブリル・ビルディング(Brill Building)派、あるいはアルドン・ミュージック(Aldon Music)の面々など。
60年代に入ると、アメリカン・ポップスは多様化とともに全盛期へ。ヒットパレードはアイドル歌手らのたわいないワン・パターンのティーン・サウンドで埋め尽くされ、いよいよ爛熟期へ。そして、ビートルズ(The Beatles)らブリティッシュ・サウンドの世界的台頭で、栄耀栄華を極めたアメリカ・ポップスは朽ち、ロック新時代への幕開けとなる。
ティーン、ガール・ポップが咲き乱れたアメリカン・ポップス爛熟期(あるいは黄金期だったのかもしれないが)、コア期間は1961〜63年で、日本では大体その1年遅れ。短命であったが、独特のドリーミー・サウンドはなんとも懐かしく、オールディーズ・ファンを情緒的な気分にさせる。
シンデレラスの「ヤム・ヤム・ヤム」という曲、その屈託のない歌声を聴いた私は、まさにその時代のヒット曲に違いないと思い込んでしまったのだ。

さて、白人系ガール・グループに限って、1950年代末期という時代を俯瞰してみると、フォンテーン・シスターズ(The Fontane Sisters)、デ・カストロ・シスターズ(The De Castro Sisters)、マックガイア・シスターズ(The McGuire Sisters)、コーデッツ(The Chordettes)、ポニー・テールズ(The Poni-Tails)らが活躍していた。ドリーミーなポニー・テールズの「もう少し早く生まれたかった(Born Too Late, 1958, 全米7位)」や、ソーダ・ポップなコーデッツの「ロリポップ(Lollipop, 1958, 全米2位)」など大ヒットしたが、彼女らの他の多くの曲は、まだ従来の伝統的なポピュラー・ソングの域を出ていなかった。

同時代にデビューした白人女性3人組・シンデレラスも「ヤム・ヤム・ヤム」以外の曲には、(YouTube で聴いていただければ)同様の印象を持たれるだろう。逆に言えば、「ヤム・ヤム・ヤム」は1962〜63年であったら受け入れられただろうに、時代を先取りしたため注目されなかったということになる。デビューが「早すぎた」ガール・グループだったのかもしれない。
他に、同じく「早すぎた」ガール・グループを考えると、1959年にデビューしたデリケイツ(The Delicates)とスターレッツ(The Starlets)がいた。チャーミングな何曲かを発表したがヒットに至らなかった。しかし、この2つのグループは合体してエンジェルス(The Angels)となった。エンジェルスは、1963年に「わたしのボーイフレンド(My Boyfriend's Back)」の大ヒットで全米に知られることとなった。
反対に、1963〜64年期、ポップスからロックの時代へと移行する頃デビューした「遅すぎた」グループもいた。いずれにせよ、時代の若者、大衆の欲求にマッチしなければどんな曲もヒットしない、それが流行歌の宿命なのだろう。

シンデレラズというガール・グループは資料にほとんど載っていないし、ネット検索でも十分な情報を得られなかった。いくつかの情報の断片から、少なくとも2グループが別個に存在していることがわかった。

「ヤム・ヤム・ヤム」を歌ったシンデレラスは、ベルギー(?)出身の白人女性3人組で、デッカ(Decca)レーベルから2枚、コロンビア(Columbia)レーベルから1枚、計3枚のシングルをリリースした。

Yum Yum Yum / Mister Dee-Jay (Decca 30830) 1959
I Was Only Fifteen / You Never Should Have Gone Away (Decca 30925) 1959
Puppy Dog / The Trouble With Boys (Columbia 4-41540) 1959

もうひと組のシンデレラスは、"Chains, 1962"や"Don't Say Nothin' Bad, 1963"などヒットさせたクッキーズ(The Cookies)の別名義。
クッキーズはよく知られており、黒人女性3人組で、結成は1954年と古く、とくにアトランティック(Atlantic)レーベル時代の"In Paradise, 1955"をはじめとする何曲かのリズム・アンド・ブルース(R&B)はなかなか素晴しく、私のお気に入り曲。いづれこのブログで紹介したいと思っている。

Baby, Baby(I Still Love You) / Please Don't Wake Me (Dimension 1026) 1964

実際は、シンデレラスというグループのレコードはまだ何枚かあり、同名異グループなのか、上記2グループに集約されるのか、現在のところは不明である。

YouTube から、「ヤム・ヤム・ヤム」の動画をアップし、他3曲をリンク、また、参考までにクッキーズのシンデレラス名義の1曲をアップしておく。

Yum Yum Yum 1959


Mister Dee-Jay 1959
http://jp.youtube.com/watch?v=RSsP8qTqxbc

Puppy Dog 1959
http://jp.youtube.com/watch?v=yr4XisJV5b8&feature=related

The Trouble With Boys 1959
http://jp.youtube.com/watch?v=ogNSn5wkZeQ&feature=related

The Cinderellas (The Cookies) "Baby, Baby(I Still Love You), 1964"
http://jp.youtube.com/watch?v=04a_gOuItj4
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2008年05月13日

The Dream Kings "M.T.Y.L.T.T." 1957

最近、演歌を唄う黒人歌手が話題を集めているようだ。もの珍しさばかりではなく、力量を高く評価するファンもいれば、「日本人の心」をはたして表現できるのだろうかとイブカる向きもある。ソウル・ミュージックやブルースなど歌っている日本人歌手もいるのだからべつに不思議ではないが、世界のポピュラー音楽の中でマイナーな部類に属する演歌・歌謡曲に挑戦する初めての黒人歌手ということで注目を集めているのだろう。
また、黒人歌手が黒人音楽を演るとは限らないのに、演歌・歌謡曲を唄うと珍しがられるのは、黒人音楽が演歌・歌謡曲とはまったく異質なイメージを持たれているからだろう。

ところが、かなり以前から両者の類似性・共通性は語られてきたのである。
私にとって記憶に残るのは1960年代末のこと。和製ドゥー・ワップと言われ人気を博したキングトーンズと、ムード歌謡コーラス・グループ、内山田洋とクール・ファイブ。デビュー曲「グッドナイト・ベイビー」(1968)と、同じくデビュー曲「長崎は今日も雨だった」(1969)はともに大ヒットした。前者が黒人音楽を志向し、後者は演歌だったのに、私は同じような印象で聴いた。それぞれのリード・ヴォーカル、内田正人と前川清はともに米軍キャンプに出入りし、幼少からジャズ(その当時は、アメリカ音楽はすべてジャズと呼ばれていた)に親しんでいたということを知ったとき、さもありなんと思ったりした。

演歌・歌謡曲と黒人音楽の類似性・共通性は、たとえばコード進行が似ているとか、コブシを利かせた歌いまわしとか、何よりも民衆の心に熱く迫るものがあるとか、いろいろ言われていた。もちろん異論があることは承知だ。現在の私は、両者の音楽にそれほどの類似性・共通性があるとは思えないし、むしろ大きな隔たりや異質性の方がたくさんあるだろうと思っている。

さて今回は、黒人音楽のなかで、演歌・歌謡曲ぽいお気に入り曲を選んでみた。
黒人ドゥー・ワップに夢中になっていた頃、1974年だったと思うが、参加したオールディーズ愛好会の主宰者宅で聴かせてもらったのが表題曲の "M.T.Y.L.T.T."。その日本的な曲調にちょっとびっくりしたことを憶えている。それは、他の黒人音楽の中にも日本的なものに気づき発見する機会となった。しかし、それらを今聴いてみると、そうでもあるようなそうでもないような微妙な気分になる。つまり、よくわからなくなるのだ。

このドリーム・キングス(The Dream Kings)はかなりレアなドゥー・ワップ・グループで、予想どうりネット検索では見つからなかった。写真もなかった。ただ、"M.T.Y.L.T.T." が数種の海外のコンピCD盤に収録されていることがわかった。
ところが、ひとつだけこのグループを採りあげているアメリカ人のブログがあった。素晴しい曲を発見したとその思い入れが書かれてある。そして、このグループのリード・ヴォーカリストの息子と称する人物が連絡してくれとコメントを入れていた(http://erik1966route1.blogspot.com/2005/09/more-than-yesterday-less-than-tomorrow.html http://erik1966route1.blogspot.com/2006/06/mtyltt-revisited.html)。

このグループは、前身である The Drakes を1955年に結成し、57年にドリーム・キングスとグループ名を変更した。チェッカー(Checker Records)から唯一のシングル盤 "M.T.Y.L.T.T. / Oh, What A Baby" をリリース、シカゴ地区でローカルヒットしたらしい。"M.T.Y.L.T.T." とは、"More Than Yesterday, Less Than Tomorrow"の各単語の頭文字で、慣用句らしくうまく訳せないのだけれど、この文の前に"I Love You"を付けてみるとなんとなくわかってくる。なお、The Drakes についても調べてみたが、手許にあるディスコグラフィー・データブックに下記のように記載があった。

The Drakes
Let Them Talk (States - unreleased) 1955
Take A Giant Step (States - unreleased) 1955

The Dream Kings
M.T.Y.L.T.T. / Oh What A Baby (Checker 858) 1957

なんとなく演歌・歌謡曲ぽい黒人音楽を、比較参考のため、Sonny Knigt "Confidencial" 1956 と The Monitors "Our Schooldays" 1957 の2曲をアップするつもりだった。また、リトル・リチャード(Little Richard)、ジョニー・エース(Johnny Ace)、チャック・ウイリス(Chuck Willis)、サム・クック(Sam Cooke)らのそれらしき雰囲気の曲を俎上にのせて書いてみようと考えた。しかし、調べて書き出すとかなり時間を要するので別の機会にしたいと思う。

The Dream Kings "M.T.Y.L.T.T." 1957
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2008年04月29日

The Short Cuts "I'll Hide My Love" 1959

一週間ほど前、ジョアン・キャンベル(Jo-Ann Campbell)の記事をアップするつもりだったが、ファイル操作ミスでその記事を消してしまった。どういうことかと言うと、「メモ帳」に書いた記事をコピーするため「すべて選択」し、何を血迷ったのか”Backspace”キーを押してしまったのだ。かくしてその記事は一瞬にして消えてしまった。しかもウンの悪いことに保存していなかった・・・いつもは保存しているのに。
調べた情報も多く、時間を要した記事だった。もう、ガックリきて、しばらく何も書く気分になれなかった。ブログをやめてしまおうかとさえ思った。皆さんもこういう経験をお持ちだろうか? 私はけっこうある。

さて、きょうになって、気を取り直してまた書こうと思った。いずれは書くつもりだが、すぐにジョアン・キャンベルの記事にとりかかる気分になれない。かと言って、今思いついた歌手やグループはそれなりに調べてからでないと書けない。

数日前、当時話題になったと思うが、ロバート・アルトマン(Robert Altman)監督の「ショート・カッツ(Short Cuts)」(1994)という映画を観た。これが、なんとも騒がしくて、猥雑で、人間臭いエピソードてんこ盛りの作品、でもけっこう面白かった。 原作がレイモンド・カーヴァー(Raymond Carver)の短編の寄せ集めというのも頷ける。また、私の贔屓の女優、ジェニファー・ジェイソン・リー(Jennifer Jason Leigh)が出演していたことも嬉しかった。
それはともかく、この映画のタイトルからふと思いついたのが、ショート・カッツ(The Short Cuts)というガール・グループ。映画とはなんら関係ない。マニアックなオールディーズ・ファンにしか知られていないグループだからほとんど情報は見つからないはず。表題曲"I'll Hide My Love"(1959)は、ここ数年私のお気に入り曲のひとつだ。たいした曲ではないけど、リード・ヴォーカル(たぶん、メアリー・エレン・キーガン)の声、ちょっとツッパったお姉さん風なのがたまらない魅力。

ショート・カッツに関する情報はほとんどない。写真も見たことがない。ネットで見つけたのは、All Media Guide(AMG)の短い記事(http://www.allmusic.com/cg/amg.dll?p=amg&sql=11:jd1gtq0z9u4a~T0)で、他のサイトでもこの記事が引用されているようだ。したがって、ここでもこの記事を引用しておく。
ショートカッツは、唯一のシングル盤("I'll Hide My Love" with B-side "Don't Say He's Gone" in 1959)を Carlton Records からリリースしたとき、オハイオ州 Pepper Pike の Ursuline College の学生だった。この曲は、少しばかりローカルな話題となったがヒットには至らなかった。メンバーのメアリー・エレン・キーガン(Mary Ellen Keegan)が曲を書いた。他のメンバーについては不明。このシングル一枚のみで、彼女らは解散し学業に戻った。
その一枚のシングル盤のディスコグラフィーと、両面の曲をアップしておく。

 I'll Hide My Love / Don't Say He's Gone (Carlton 513) 1959

 I'll Hide My Love 1959


 Don't Say He's Gone 1959
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2008年04月11日

The Jive Bombers "Bad Boy" 1957

The Jive Bombers 1.jpg先日、ジョニーデップ(Johnny Depp)主演の映画「クライ・ベイビー(Cry Baby)」(1990年)を観た。日本で公開された当時(91年)評判を耳にした記憶はあるけど、あまり面白そうでなかったので観ずじまいだった。
この映画は、1950年代中頃のボルチモアを舞台に、ロックンロール(Rock'n'Roll)を通して当時の不良少年・少女を描いたミュージカル仕立ての青春コメディ。出来のいい映画とは言い難いが、そこそこ楽しめた。たとえば、ハチェット役(Kim McGuire)はかなりイケていて、牛も驚いて逃げ出すショットには笑ってしまったし、全編に流れるロックンロール・ナンバーの数々もちょっと凝った選曲だ。

たとえば、アメリカでヒットした曲ばかりだけれど、
 クライ・ベイビー(Cry Baby)・・・オリジナルは、ファイヴ・サテンズ(The Five Satins)の前身、スカーレッツ(The Scarlets)の曲(1955)で、看護婦3人娘のボニー・シスターズ(The Bonnie Sisters)のカヴァーで1956年にヒットした。
 ミスター・サンドマン(Mister Sandman)・・・コーデッツ(The Chordettes)で有名だが、オリジナルは1954年のヴォーン・モンロー(Vaughn Monroe)の曲らしい。また、チェット・アトキンス(Chet Atkins)のギター・ソロもある。
 ティーンエイジ・プレイヤー(Teenage Prayer)・・・オリジナルは、ゲイル・ストーム(Gale Storm)なのか、グローリア・マン(Gloria Mann)なのか、はたまた黒人女性歌手・ドリー・クーパー(Dolly Cooper)なのか、いずれも1955年にリリースしているが、いったい誰なんだろう?
 などは、私のお気に入り曲。もちろん映画では吹き替えで、しかも曲はカヴァーだからモノ足らない。オリジナル曲はこのブログで採りあげたいくらい素晴しい曲と思うが、「ヒットしなかったけれど」にひっかっかるかも。

閑話休題。この映画では、カヴァー曲ばかりではなくオリジナル曲も巧みに挿入されている。今回のアップ曲は、この映画の中でエンディングに使われたジャイヴ・ボンバーズ(The Jive Bombers)の「バッド・ボーイ(Bad Boy)」。1957年に全米R&Bチャートで7位、同ポップ・チャートで36位のヒットを記録しているが、日本でヒットした形跡はないので採りあげてみた。私にとっては、1960年代後半、FEN(米軍極東放送、97年にAFNに名称変更)でよく聴き大好きになった曲。一時期この曲が耳について離れなかったことを憶えている。

この黒人R&Bグループとこのヒット曲について調べてみると、それぞれにちょっと複雑な経緯もあるようだ。データが不明であったり、データがあってもどこまで正確なのかわからないが、出来るだけ簡潔に記述してみる。

このグループは、Austin & The Jive Bombers と The Palmer Brothers という2つのグループが合体して、スパロウズ(Al Sears & The Sparrows)が結成されたところから始まる。たぶん1940年代後半のことだろう。スパロウズというグループは1950年代に2組あったがいずれも該当しない。したがって、このスパロウズのディスコグラフィーは不明だが、1949年に Coralレーベルから"Brown Boy"をリリースしている。後述するが、どうもこの曲が1957年に大ヒットしたジャイヴ・ボンバーズの「バッド・ボーイ」のモデルらしい(未聴)。1952年になると、スパロウズはジャイヴ・ボンバーズ(The Jive Bombers)にグループ名を変更し、同じ曲"Brown Boy"を Citationレーベルで録音する。そして、4年後の1956年、Savoyレーベルから曲名を"Bad Boy"に変えてリリース、上述のように大ヒットした。その後、1959年までに4枚のシングル盤を出すが、「バッド・ボーイ」に酷似した「チェリー(Cherry, 1957)」がちょっとヒットした以外はすべて不発に終わった。5年後の1964年、Middle-Toneレーベルからシングル盤を1枚出してこのグループ゚の活動は終わった。なお、1952年からの4年間と1959年からの5年間、彼らがどんな音楽活動をしていたのかは不明である。

ヒットした「バッド・ボーイ(Bad Boy)」という曲についても触れておく。
原曲は、"Lil Hardin"で知られる Lillian Armstrong が Avon Long と共同で書いた"Brown Gal"という曲。彼女は自ら歌い、彼女の率いる Lil Armstrong & Her Swing Band で演奏し、1936年にDeccaレーベルで吹き込んでいる。彼女は、ルイ・アームストロング(Louis Armstrong)の2番目の奥方(のち離婚)としても知られている。
この"Brown Gal"を聴いてみると、とても同じ曲とは思えないほど「バッド・ボーイ」はアレンジを施されていることがわかる。1938年に、Deek Watson がインク・スポッツ( Ink Spots)のバック・コーラスで歌い、その後、上述したスパロウズ(1949年)、ジャイヴ・ボンバーズ(1952年)、再びThe Brown Dotsを率いたDeek Watson (1954年)が、曲名を"Brown Boy"として歌っている。そして、1957年にようやくヒット曲「バッド・ボーイ」に辿りつく。
また、カヴァー・ヴァージョンも多く、1978年にビートルズ(The Beatles)のリンゴ・スター(Ringo Starr)をはじめ、Mink DeVille(1980)、Buster Poindexter(1987)、Doug Sahm(1994)らが歌っている。

以下、メンバーとディスコグラフィー、レコード解説と楽曲が楽しめるサイト(Color Radio)を記し、YouTubeから2曲アップしておく。

Members
Earl Johnson
Clarence Palmer (lead)
Al Tinney
William Tinney

Discography
It's Spring Again / Pork Chop Boogie (Citation 1160) 1952
Brown Boy / Peewee's Boogie (Citation 1161) 1952
Bad Boy / When Your Hair Has Turned To Silver (Savoy 1508) 1957
The Blues Don't Mean A Thing / If I Had A Talking Picture (Savoy 1513) 1957
Cherry / You Took My Love (Savoy 1515) 1957
Is This The End /Just Around The Corner (Savoy 1535) 1958
You Give Your Love To Me / Stardust (Savoy 1560) 1959
Anytime / The Days Of Wine And Roses (Middle-Tone 020) 1964

The Jive Bombers Record Label Shots
http://colorradio.com/jivebombers.htm

Bad Boy 1957


Cherry 1957

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2008年03月31日

Robin Clark "Daddy Daddy" 1961

Robin Clark 2.jpgこの曲を聴いていると、子どもの頃毎週楽しみに観ていたアメリカのホームドラマ「パパは何でも知っている」(昭和33〜39年放映)を思い出す。アンダーソン家の丸っこくて巨大な冷蔵庫には美味しそうな食品がぎっしり詰まっていて、長男バドは夜中にこっそり開けて盗み食いをし、末娘キャシーは、そう、この曲のように自分の部屋に電話機を取りつけてくれとダダをこねる。14インチの白黒ブラウン管を通して、アメリカの豊かさをイヤというほど見せつけられ、子供心にそんな暮らしに憧れ、ため息をついたものだ。

ロビン・クラーク(Robin Clark)の「ダディ ダディ(Daddy Daddy (Gotta Get A Phone In My Room), 1961)」は、そんなアメリカの黄金時代を彷彿させ、60年代初頭のドリーミー・ポップスを象徴するような曲。1961年3月、全米ポップ・チャート120位と振るわず、日本でもヒットしなかったが、ガール・ポップス好きのオールディーズ・ファンにはけっこう人気があるようだ。彼女については不明だが、以下のシングル盤をキャピトル(Capitol)からリリースしている。なお、当時、彼女は11歳だった。

Daddy Daddy / Love Has Come My Way (Capitol 4503) 1961
For Your Sake / Billy (Capitol 4579) 1961
The Butterfly Tree / It's Love (Capitol 4636) 1961
Tellin' Myself / I Gotta Be Sure (Capitol 4763) 1962

Daddy Daddy 1961


For Your Sake 1961
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2008年03月29日

The Cascades "There's A Reason" 1962

The Cascades 2.jpg今さらこんな曲を聴くと、さすがにモノ足らなさを覚える。けれども、懐かしさやいとおしさとかいう気持ちと、その音楽に対する評価と別モノだ。その乖離は年とともに大きくなってきたような気がする。
カスケーズ(The Cascades)は、哀愁を帯びたサウンドで日本人に親しまれた。世界的な大ヒットの「悲しき雨音(Rhythm Of The Rain)」(1962)は、知らない人はいないほどのオールディーズ定番曲。他にも「悲しき北風(Last Leaf, 1963)」がヒットした。また、アルバム収録曲の「ドリーミン(Dreamin', 1963)」、「エンジェル・オン・マイ・ショルダー(Angel On My Shoulder, 1963)」は、それぞれジョニー・バーネット(Johnny Burnette)、シェルビー・フリント(Shelby Flint)のヒット曲のカヴァーとして知られている。

1960年代の終わり頃、友人宅で一枚のシングル盤を見つけ聴かせてもらった。おなじみのカスケーズの曲だけれどヒットしたような記憶もなく、どんな曲だろうと手に取ってみたのだ。聴いてみるとけっこうイイ曲、何度も何度も聴いてすっかりお気に入りになってしまった。その曲が、今回採り上げた「悲しいわけは(There's A Reason)」(1962)で、カスケーズのデビュー曲だ。

カスケーズは、1960年、カルフォルニア・サンディエゴで、海軍仲間5人によって結成された。ワーナー(Warner Bros.)にスカウトされ、傘下のValiantでレコーディング。第2弾の「悲しき雨音」が全米ポップ・チャート3位の大ヒット、世界80カ国以上でヒットを記録した。第3弾の「悲しき北風」は同60位。以後、70年代初めまで、RCA、Charter、Liberty、Arwin、Smash、Probe、Uni、Cascadesなどのレーベルを移籍したがヒット曲を生み出せず解散した。
カスケーズについてより詳しくお知りになりたい方は、日本のサイトでも数多く採り上げられ、また海外サイトでは詳細なバイオグラフィなど掲載されているのでぜひ参照していただきたい。

Valiant時代(1962-63)のシングル盤とアルバム収録曲
There's A Reason / Second Chance (Valiant 6021) 1962
Rhythm Of The Rain / Let Be Me (Valiant 6026) 1962
Last Leaf / Shy Giel (Valiant 6028) 1963
My First Day Alone / I Want To Be Your Lover (Valiant 6032) 1963
Dreamin' (Valiant W-405) 1963
Was I Dreamin' (Valiant W-405) 1963
Angel On My Shoulder (Valiant W-405) 1963
Lucky Guy (Valiant W-405) 1963
Punch And Judy (Valiant W-405) 1963

悲しいわけは(There's A Reason, 1962)


悲しき雨音(Rhythm Of The Rain, 1963)
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2008年03月12日

The Orlons "I'll Be True" 1961

The orlons 3.jpg1950年代のドゥー・ワップ・シーンに女性グループもいたけれど、実際、男性陣に比べてその割合は極めて少ないものだった。有名なところでは、ハーツ(The Hearts)、ドリーマーズ(The Dreamers)、ジョイトーンズ(The Joytones)、クリケッツ(The Clickettes)、シャンテルズ(The Chantels)、ボベッツ(The Bobbettes)など思い浮かぶ。60年代に入ると、抑圧されていたエネルギーが解き放たれたかように、女性グループが多数輩出した。先鞭をつけたのは58年結成のシレルズ(The Shirelles)あたりだろうか。それから、マーベレッツ(The Marvelettes)、クリスタルズ(The Crystals)、スプリームス(The Supremes)、シフォンズ(The Chiffons)、ロネッツ(The Ronettes)など続く。そして60年代前半は、女性ヴォーカル・グループが雨後の筍のごとく発生しては消えていった。この現象は「60's ガール・グループ」ブームとなり、エンジェルス(The Angels)、ピクシーズ・スリー(The Pixies Three)、シャングリラス(The Shangri-Las)、レパラタとデルロンズ(Reparata & The Delrons)など白人系も含め、ガール・グループ(Girl Groups)というジャンルを形成した。ただ、ジャンルとは言っても、黒人グループ中心で、50年代後半から60年代中頃までに限定されているようだ。

今回採りあげたのは、多くのヒット曲を放ち、日本でもよく知られているオーロンズ(The Orlons)。女性3人、男性1人のグループで、男性がバリトンを担当し、女性ヴォーカルにアクセントをつけ厚みを加えた。ちょっとユニークなガール・グループかもしれない。彼らについては、ネット検索すれば詳細な情報を得られるので略歴のみ記す。
オーロンズは、1960年、ペンシルバニア州フィラデルフィアで結成された。前身は、50年代末に結成された Audrey & The Teenettes で、Shirley、Jean、Audrey のBrickley 姉妹と、クラスメイトの Rosetta Hightower、Marlena Davis のクィンテット。しかし、Shirley の妹たちは幼かったので、Shirley、Rosetta、Marlana の3人に、高校の友人で、ローカル・グループ、The Romeos のリード・ヴォーカルだった Stephan Caldwell を加え、オーロンズとグループ名を変えて活動を開始した。オーロンとは合成繊維の商品名である。
彼らは、友人のレン・バリー(Len Barry)の推薦により Cameo-Parkway の専属となった。Cameo-Parkway は、チャビー・チェッカー(Chubby Checker)やボビー・ライデル(Bobby Rydell)らスターを擁するポップスの名門レーベル。レン・バリーも、ダヴェルス(The Dovells)のリード・ヴォーカリストで61年に全米2位の"Bristol Stomp"を放ち、その後独立すると"1-2-3"(65年)で全米1位を獲得、スター・ダムにのし上がった。実際、60年代前半の Cameo-Parkway はヒット・チャート上位曲を連発する破竹の勢いだった。
Cameo-Parkway の成功は、チャビー・チェッカーの「ザ・ツイスト(The Twist)」(60年)を始め、ディー・ディー・シャープ(Dee Dee Sharp)の「マッシュ・ポテト・タイム(Mashed Potato Time)」(62年)、「グレーヴィ(Gravy)」(62年)などティーンエージャー向けダンス・ポップスを全米、いや世界中に大流行させたことにあった。もちろん、オーロンズもその一翼を担ったわけだが。
オーロンズは、61年に2枚のシングルをリリースしたがヒットに至らなかった。62年春、ディー・ディー・シャープのバック・コーラスを担当、この「マッシュ・ポテト・タイム」は全米ポップ・チャート1位の大ヒットとなった。その直後、オーロンズは3枚目「ワ・ワトゥシ(The Wah-Watusi)」をリリース。この曲は全米ポップス・チャート2位の大ヒットを記録、彼らも一躍スターの仲間入りを果たした。その後、63年にかけて"Don't Hang Up"(4位)、"South Street"(3位)、"Not Me"(12位)、"Crossfire!"(19位)と快進撃を続けた。なお、ほとんどの曲のリードは Rosetta Hightower が担当した。
しかし、64年になると、Marlena Davis と Stephan Caldwell が抜け、Shirley の妹、Audrey Brickley らが参加した。68年まで活動を続けたが、もはやヒットを生み出すことはなく解散に至った。その後、Rosetta Hightower はイギリスに移住、Shirley Brickley は1977年に自宅侵入者に殺害され(32歳)、Marlena Davis は1993年に肺癌で亡くなり(48歳)、Audrey Brickley は2005年に呼吸障害症候群で亡くなった(58歳)。

I'll Be True / Heart Darling Angel (Cameo 198) 1961
Happy Birthday Twenty-One / Please Let It Be Me (Cameo 211) 1961
The Wah-Watusi / Holiday Hill (Cameo 218) 1962
Don't Hang Up / The Conservative (Cameo 231) 1962
South Street / Those Terrible Boots (Cameo 243) 1963
Not Me / My Best Friend (Cameo 257) 1963
Cross Fire! / It's No Big Thing (Cameo 273) 1963
Bon-Doo-Wah / Don't Throw Your Love Away (Cameo 287) 1963
 (64年以降は省略)

The Orlons 4.jpg今回選んだ曲は、70年代に入手したファースト・アルバム"The Wah-Watusi"の中から一番好きだった"I'll Be True"を期間限定でアップしておく。この曲は彼らのデビュー曲であり、唯一 Marlena Davis がリードを担当している。2枚目のシングル"Mr. Twenty One (Happy Birthday Twenty-ne"もお気に入り曲のひとつ。Shirley Brickleyがリードをとっている。これら2曲はヒットしなかったが、なかなか味わいのあるドリーミー・ポップス。それが故に、あまり新味も特徴もなくヒットに至らなかったのだろう。最後に、時代の流行を採り入れ、最大のヒット曲となった"The Wah-Watusi"を、YouTube(DJ風景が入っているが他になかったので)からアップしておきたい。

I'll Be True 1961


Mr.Twenty One 1961


The Wah-Watusi 1962
posted by DreamyPops at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | Girl Groups, Female Groups | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする