この番組でしつこく何度もかかった曲(今、思いつくまま) ・The Timetones "Pretty, Pretty Girl" 1961(紹介済) ・The Clovers "Devil Or Angel" 1955 ・Chuck Miller "The House Of Blue Lights" 1955(いずれ紹介したい曲) ・The Shields "You Cheated" 1958 ・The Four Coquettes "Sparkle And Shine" 1961 ・The Skyliners "Since I Don't Have You" 1959
今回はこの中から、フォー・コケッツ(The Four Coquettes)「スパークル・アンド・シャイン(Sparkle And Shine, 1961)」を紹介してみたい。この曲は、ローカル・ヒットしたが、全米で知られたわけではない。また当時日本で紹介されたかどうかも不明である。にもかかわらずオールディーズ・マニアの間ではよく知られている。書籍資料やネット検索では見つけられなかったが、最近この曲を収録した海外CDのライナー・ノーツなど参考に紹介しておく。
1960年、カルフォルニア・ロス・アンジェルス(Los Angeles, California )の女子大生4人(Judi Hersh、Carol McConkey、Muffy Cohan、Mary Anne Lucas)によって結成された。タレント・ショーなどに出演していた彼女らを見出だしたのは、ヒスパニック系の歌手 Vic Diaz で、彼はブルース・べラード(Bruce Bellard)にこのガール・グループを紹介した。べラードは、フォー・プレップス(The Four Preps)のメンバーで、同じくメンバーのグレン・ラーソン(Glen Larson)とともに音楽プロダクションを立ち上げていた。フォー・プレップスは何曲かヒット曲を持つ白人男性コーラス・グループで、すでに全国的な地位を確立していた。ただ、人気衰退を考えて会社経営に参入したらしい。 1961年、ブルースがマネージャーとなり、彼の書いた「スパークル・アンド・シャイン」をキャピトル(Capitol)からリリースした。この曲は、ロス・アンジェルスで第6位の好成績をおさめたが、全米ヒット・チャート(Billboard)107位とあまり振るわなかった。同じ年、ケーシー・ヤング(Kathy Young & The Innocents)もこの曲をカヴァーしている。 その後、グループ名をフォー・カルケッツ(The Four Cal-Quettes)と改め、キャピトルから3枚、リバティ(Liberty)から1枚、シングル・リリースした。いずれもヒットすることはなく、1963年に解散したらしい。
The Four Coquettes Sparkle And Shine / In This World (Capitol 4534) 1961
The Four Cal-Quettes Star Bright / Billy My Billy (Capitol 4574) 1961 I'm Gonna Love Him Anyway / Most Of All (Capitol 4657) 1961 I'll Never Come Back / Again (Capitol 4725) 1962 Movie Magazines / I Cried (Liberty 55549) 1963
今回は、女性R&B歌手、アン・コール(Ann Cole)を採りあげてみた。マディ・ウォーターズ(Muddy Waters)のヒット曲”Got My Mo-Jo Working (But It Just Won't Work On You), 1957”のオリジナル歌手として少しばかり知られている以外ほとんど無名に近い。彼女は、ゴスペル〜R&Bと1950年代の黒人音楽とともに生き、ソウル・ミュージックの旗手のひとりと期待されていた。そんな彼女の音楽と、その足跡を紹介してみたいと思った。 なお、当初、表題曲を50年代のR&B曲にしようと思っていたが、ソウル・ミュージック、とくにレディー・ソウルに凝っていた一時期に好んで聴いていた”Have Fun, 1962”の方を選んでみた。R&B歌手ではあるけれど、たった2曲しか歌っていないとは言え、彼女の真価はソウル・ミュージックにあったのではないかと、個人的には思うのである。
アン・コールは本名をシンシア・コールマン(Cynthia Coleman)といい、1934年1月24日(29日という説もある)、ニュー・ジャージー州 Newark に生まれた。父は有名なゴスペル・グループ、The Coleman Brothers(1918年結成)のメンバーで、彼女は幼少の頃から父や叔父らの歌を聴いて育った。そして12歳になると、教会で歌ったり、父親たちとコンサートに出演した。 1949年、彼女が15歳になったとき、従兄弟らとともにゴスペル・グループを結成、グループ名を The Colemanaires(Cynthia Coleman, Joe Walker, Sam Walker and Wesley Johnson)と名乗った。リード・ヴォーカルはアンが担当、全米主要都市を約2年間にわたって巡業した。 1953年から54年にかけて、彼らは名門アポロ(Apollo)レーベルの傘下 Timely で5枚の 78回転シングル(一枚はApollo盤)を吹き込んだ。この間、アンは個人名義でも3枚録音している。いずれもヒットすることなく終わってしまった。またこの間に、彼女は、The Three Kings 、The Claudiettes というヴォーカル・グループを率いて2レーベルから一枚ずつリリースした記録も残っているが、それらに関することは不明。 アンの歌声を耳にして強く惹かれた人物がいた。バトン(Baton)・レーベルの Sol Rabinowitz である。彼は無名の新人を探し求めていた。バトンは、"A Thousand Stars"のヒットを放ったリヴィリアーズ(The Rivileers)や、大ヒット曲”Lonely Nights”を歌った黒人女性グループ、ハーツ(The Hearts)を擁するニュー・ヨークの中堅レーベルである。アンはこのレーベルと専属契約を結び、ゴスペルから時の黒人音楽、リズム・アンド・ブルース(R&B)に転向することとなった。 1955年から58年にかけて、このレーベルで8枚のシングル盤をリリースした。デビュー曲の”Are You Satisfied ?”はビルボード誌、キャッシュボックス誌ともにR&Bチャート10位と幸先のよいスターを切った。4枚目の”In The Chapel”は14位と健闘、5枚目はちょっとしたエピソードとともに思わぬ展開が待っていた。
1957年初め、シカゴ・ブルースの巨人、マディ・ウォーターズ(Muddy Waters)と南部を公演旅行したとき、その5枚目、すでに録音はしていたけれどまだ発表していなかった”Got My Mo-Jo Working(But It Just Won't Work On You)”を、マネージャーの Sol Rabinowitz の警告があったにもかかわらず、マディのバンドをバックに歌ってしまった。この曲を聴いたマディはいたく気に入りチェス(Chess)・レーベルに頼んで録音してしまった。結局、アン・コールのリリースとほぼ同時に発売され、同じ週のR&Bヒット・チャートにランキング入りした。マディ・ウォーターズは7位、アン・コールは3位まで上昇した。アンにとっては最大のヒット曲となったが、マディにとっては「フーチー・クーチー・マン(I'm Your Hoochie Coochie Man, 1954)」とともに定番のレパートリー曲となった。 マディに歌われたことによって有名となったこの曲は多くのカヴァー版を生んだ。ちなみにカヴァーした主な歌手、グループ、ジャズ演奏者らを記しておく。ルイ・ジョーダン(Louis Jordan)、コンウェイ・トゥイッティ(Conway Twitty)、マンフレッド・マン(Manfred Mann)、ゾンビーズ(The Zombies)、キングスメン(The Kingsmen)、ポール・リビアとレイダース(Paul Revere & The Raiders)、ジョニー・リヴァース(Johnny Rivers)、ジミー・スミス(Jimmy Smith)、アート・ブレーキー(Art Blakey)、カーラ・トーマス(Carla Thomas)、エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley)、B.B.キング(B. B. King)バディ・ガイ(Buddy Guy)、オーティス・ラッシュ(Otis Rush)ら。その錚々たる顔ぶれにちょっと驚かされる。また、2004年のローリング・ストーンズ誌(Rolling Stone magazine)”500 Greatest Songs of All Time”の359位に選ばれている。 この曲は、プレストン・フォスター(Preston Foster)が作詞・作曲したもので、オリジナル歌手はアン・コールなのだけれど、マディ版に若干の歌詞の違いがあったり、またチェスがこの辺の事情を知らなかったためか、作者をマディ・ウォーターズと主張したため訴訟問題となった。裁定はフォスターが作者と認められたが、その後も著作権問題で両者は争っているという(最新情報ではどうなっているのか不明なので興味ある方は調べてみてください)。 なお、アン・コールは、この曲のおかげでキャッシュ・ボックス誌の1956年度「最も有望な新人女性R&B歌手(Most Promising New Female R&B Vocalist)」に選ばれた。
その後、ファッツ・ドミノとのデュエット盤(Imperial 5444 のB面)を吹き込んだりしたが、ヒット曲に恵まれず、1958年に彼女はバトンを去った。以降、APT、Sir、MGMなどを転々としながら何枚かリリースするがいずれも不発に終わった。 どういう経緯なのか不明だが、1962年、彼女は名門レーベル・ルーレット(Roulette)で吹き込むことになった。リチャード・バレット(Richard Barrett)、彼は1950年代の最も成功した黒人女性ヴォーカル・グループ、シャンテルズ(The Chantels)のヒット曲の多くを手がけ、マネージャーも兼ねる人物であった。その彼がプロデュースを担当した。A面は、同じ年 R&Bチャート6位まで昇ったエタ・ジェームズ(Etta James)の”Stop The Wedding”のアンサー・ソング、”Don't Stop The Wedding”で、全米99位を記録した。彼女にとっては初めてのポップ・チャートのランク・インであった。B面の”Have Fun”はR&Bチャート21位まで上昇した。2曲とも新時代のソウルフルな佳曲ではあったが、これが彼女の最後のシングル・リリースとなった。 1960年代中頃としか記録にはないが、彼女は自動車事故に遭いかなり深刻なダメージを負った。以後車椅子で生活することになり再び音楽活動に戻ることはなかった。およそ20年経た1986年11月、故郷の Newark でほとんど誰にも知られることなくその生涯を終えた。享年51歳であった。
[ディスコグラフィー] The Colemanaires Old Ship Of Zion (Part 1) / Old Ship Of Zion (Part 2) (Timely 101) 1953 Joy In The Prayer Room / Somebody Saved Me (Timely 102) 1953 I'll Fly Away / When The Pearly Gates Unfold (Timely 103) 1953 Be Ready When He Comes / Out On The Ocean Sailing (Timely 105) 1954 This May Be The Last Time / I Cannot Understand It (Apollo 308)- 1954 (1957)
Ann Cole (with Howard Briggs Orchestra) Danny Boy / Smilin' Through (Timely 1006) 1954 Oh Love Of Mine / I'll Fina A Way (Timely 1007) 1954 Down In The Valley / So Proud Of You (Timely 1010) 1954 Since I Fell For You / Then You Taught Me How To Cry (Timely 1012) 1954 unissued
Ann Cole with The Three Kings The Fishin' Song / Adam Had 'Em (Record Specialties 47-624/625) ?
Ann Cole With The Claudiettes Please Forgive Me / I Want To Be A Big Girl (Mor-Play 701) 1955
Ann Cole (with McRae Orchestra) Are You Satisfied ? / Darling Don't Hurt Me (Baton 218) 1955 Easy Easy Baby / New Love (Baton 224) 1956 My Tearful Heart / I'm Waiting For You (Baton 229) 1956
Ann Clark(アン・コール本人かどうか未確認) Those Lonely, Lonely Nights / I Had A Dream (Ace 512) 1956
Ann Cole with The Suburbans In The Chapel / Each Day (Baton 232) 1956 Got My Mo-Jo Working (But It Just Won't Work On You) / I've Got A Little Boy (Baton 237) 1957
Ann Cole No Star Is Lost / You're Mine (Baton 243) 1957
Fats Domino with Ann Cole(B面のみ) What Will I Tell My Heart / When I See You (Imperial 5454) 1957
Ann Cole Give Me Love Or Nothing / I've Got Nothing Working Now (But My Real Old Fashioned Love) (Baton 247) 1957 Love In My Heart / Summer Nights (Baton 258) 1958
Ann Cole (with Sammy Lowe Orchestra) Nobody But Me / That's Enough (Sir 272) 1960 A Love Of My Own / Brand New House (Sir 275) 1960 In The Chapel / Plain As The Nose On Your Face (MGM 12954) 1960
Ann Cole Have Fun / Don't Stop The Wedding (Roulette 4452) 1962
まず、その本について紹介しておく。 昭和47年(1972)に音楽之友社から出版された「ロックへの視点」。中村とうよう、三井徹の両氏によるカール・ベルツ(Carl Belz)の”The Story Of Rock”(1969)の全訳である。訳者の中村とうよう氏はあとがきで「学問的な体系をもったロックの本格的研究書の草分け的存在」と評価していた。 当時、1950〜60年代のアメリカ音楽に夢中になっていた私にとって、この本はそれらの音楽を概括的、歴史的に把握するための拠りどころであった。また、巻末の参考レコード(1953-1963)のリスト(300余曲)はエアチェックや音源収集のための指針と言ってもよく、ずいぶん活用させてもらった。
今回は、そのうちの1曲、「Mr.ブロークンハーテッド(フォージェイズ)」を採りあげてみた。 この曲、「ミスター・ブロークンハート(Here Am I Broken Hearted, 1964))」は典型的なホワイト・ドゥー・ワップ(White Doo Wop)曲。1963年末に録音、64年発売と、ホワイト・ドゥー・ワップ全盛が1960年前後のことだから、あまりに遅すぎる新譜。アメリカではビートルズ(The Beatles)らブリティッシュ・ロック全盛を迎えようとしていた時代だ。やはりヒット・チャートにランク・インした記録は見つからない。日本では昭和39年(1964)にキング・レコードから「ミスター・ブロークンハート/恋されて」(HIT-312)のシングル盤が発売された。ラジオで聴いた記憶もなければ、ヒットした形跡もない。どうやら「遅れてきたドゥーワップ」のようであった。
The Fabulous Four Mister Twist / In The Chapel In The Moonlight (Chancellor 1062) 1960 Let's Try Again / Precious Moments (Chancellor 1068) 1961 Sounds Of Summer / Why Do Fools Fall In Love (Chancellor 1078) 1961 Betty Ann / Prisoner Of Love (Chancellor 1085) 1961 Everybody Knows / I'm Coming Home (Chancellor 1090) 1961 Everybody Knows / Mister Twist (Chancellor 1098) 1961 Forever / It's no Sin (Chancellor 1102) 1962
With Fabian The love that i'm giving to you / You're only young once (Chancellor 1079) 1961
The Four J's Here Am I Broken Hearted / She said that she loved me (Jamie 1267) 1964 By Love Possessed / My Love My Love (Jamie 1274) 1964
「ミスター・ブロークンハート」は、「クライ(Cry, 1951)」や「雨に歩けば(Just Walkin' In The Rain, 1956)」などの大ヒットで日本でもよく知られているジョニー・レイ(Johnnie(Johnny) Ray)の1952年ヒットの同名曲カヴァーである。ジョニー・レイの歌がオリジナルかどうかわからないが、フォー・ジェイズによるドゥー・ワップ・アレンジはとても同じ曲とは思えない。参考までにYoutubeからジョニー・レイ版もアップしておくので聴き比べてみてほしい。
Yum Yum Yum / Mister Dee-Jay (Decca 30830) 1959 I Was Only Fifteen / You Never Should Have Gone Away (Decca 30925) 1959 Puppy Dog / The Trouble With Boys (Columbia 4-41540) 1959
もうひと組のシンデレラスは、"Chains, 1962"や"Don't Say Nothin' Bad, 1963"などヒットさせたクッキーズ(The Cookies)の別名義。 クッキーズはよく知られており、黒人女性3人組で、結成は1954年と古く、とくにアトランティック(Atlantic)レーベル時代の"In Paradise, 1955"をはじめとする何曲かのリズム・アンド・ブルース(R&B)はなかなか素晴しく、私のお気に入り曲。いづれこのブログで紹介したいと思っている。
Baby, Baby(I Still Love You) / Please Don't Wake Me (Dimension 1026) 1964
このグループは、前身である The Drakes を1955年に結成し、57年にドリーム・キングスとグループ名を変更した。チェッカー(Checker Records)から唯一のシングル盤 "M.T.Y.L.T.T. / Oh, What A Baby" をリリース、シカゴ地区でローカルヒットしたらしい。"M.T.Y.L.T.T." とは、"More Than Yesterday, Less Than Tomorrow"の各単語の頭文字で、慣用句らしくうまく訳せないのだけれど、この文の前に"I Love You"を付けてみるとなんとなくわかってくる。なお、The Drakes についても調べてみたが、手許にあるディスコグラフィー・データブックに下記のように記載があった。
The Drakes Let Them Talk (States - unreleased) 1955 Take A Giant Step (States - unreleased) 1955
The Dream Kings M.T.Y.L.T.T. / Oh What A Baby (Checker 858) 1957
数日前、当時話題になったと思うが、ロバート・アルトマン(Robert Altman)監督の「ショート・カッツ(Short Cuts)」(1994)という映画を観た。これが、なんとも騒がしくて、猥雑で、人間臭いエピソードてんこ盛りの作品、でもけっこう面白かった。 原作がレイモンド・カーヴァー(Raymond Carver)の短編の寄せ集めというのも頷ける。また、私の贔屓の女優、ジェニファー・ジェイソン・リー(Jennifer Jason Leigh)が出演していたことも嬉しかった。 それはともかく、この映画のタイトルからふと思いついたのが、ショート・カッツ(The Short Cuts)というガール・グループ。映画とはなんら関係ない。マニアックなオールディーズ・ファンにしか知られていないグループだからほとんど情報は見つからないはず。表題曲"I'll Hide My Love"(1959)は、ここ数年私のお気に入り曲のひとつだ。たいした曲ではないけど、リード・ヴォーカル(たぶん、メアリー・エレン・キーガン)の声、ちょっとツッパったお姉さん風なのがたまらない魅力。
ショート・カッツに関する情報はほとんどない。写真も見たことがない。ネットで見つけたのは、All Media Guide(AMG)の短い記事(http://www.allmusic.com/cg/amg.dll?p=amg&sql=11:jd1gtq0z9u4a~T0)で、他のサイトでもこの記事が引用されているようだ。したがって、ここでもこの記事を引用しておく。 ショートカッツは、唯一のシングル盤("I'll Hide My Love" with B-side "Don't Say He's Gone" in 1959)を Carlton Records からリリースしたとき、オハイオ州 Pepper Pike の Ursuline College の学生だった。この曲は、少しばかりローカルな話題となったがヒットには至らなかった。メンバーのメアリー・エレン・キーガン(Mary Ellen Keegan)が曲を書いた。他のメンバーについては不明。このシングル一枚のみで、彼女らは解散し学業に戻った。 その一枚のシングル盤のディスコグラフィーと、両面の曲をアップしておく。
I'll Hide My Love / Don't Say He's Gone (Carlton 513) 1959
Members Earl Johnson Clarence Palmer (lead) Al Tinney William Tinney
Discography It's Spring Again / Pork Chop Boogie (Citation 1160) 1952 Brown Boy / Peewee's Boogie (Citation 1161) 1952 Bad Boy / When Your Hair Has Turned To Silver (Savoy 1508) 1957 The Blues Don't Mean A Thing / If I Had A Talking Picture (Savoy 1513) 1957 Cherry / You Took My Love (Savoy 1515) 1957 Is This The End /Just Around The Corner (Savoy 1535) 1958 You Give Your Love To Me / Stardust (Savoy 1560) 1959 Anytime / The Days Of Wine And Roses (Middle-Tone 020) 1964
ロビン・クラーク(Robin Clark)の「ダディ ダディ(Daddy Daddy (Gotta Get A Phone In My Room), 1961)」は、そんなアメリカの黄金時代を彷彿させ、60年代初頭のドリーミー・ポップスを象徴するような曲。1961年3月、全米ポップ・チャート120位と振るわず、日本でもヒットしなかったが、ガール・ポップス好きのオールディーズ・ファンにはけっこう人気があるようだ。彼女については不明だが、以下のシングル盤をキャピトル(Capitol)からリリースしている。なお、当時、彼女は11歳だった。
Daddy Daddy / Love Has Come My Way (Capitol 4503) 1961 For Your Sake / Billy (Capitol 4579) 1961 The Butterfly Tree / It's Love (Capitol 4636) 1961 Tellin' Myself / I Gotta Be Sure (Capitol 4763) 1962
今さらこんな曲を聴くと、さすがにモノ足らなさを覚える。けれども、懐かしさやいとおしさとかいう気持ちと、その音楽に対する評価と別モノだ。その乖離は年とともに大きくなってきたような気がする。 カスケーズ(The Cascades)は、哀愁を帯びたサウンドで日本人に親しまれた。世界的な大ヒットの「悲しき雨音(Rhythm Of The Rain)」(1962)は、知らない人はいないほどのオールディーズ定番曲。他にも「悲しき北風(Last Leaf, 1963)」がヒットした。また、アルバム収録曲の「ドリーミン(Dreamin', 1963)」、「エンジェル・オン・マイ・ショルダー(Angel On My Shoulder, 1963)」は、それぞれジョニー・バーネット(Johnny Burnette)、シェルビー・フリント(Shelby Flint)のヒット曲のカヴァーとして知られている。
1960年代の終わり頃、友人宅で一枚のシングル盤を見つけ聴かせてもらった。おなじみのカスケーズの曲だけれどヒットしたような記憶もなく、どんな曲だろうと手に取ってみたのだ。聴いてみるとけっこうイイ曲、何度も何度も聴いてすっかりお気に入りになってしまった。その曲が、今回採り上げた「悲しいわけは(There's A Reason)」(1962)で、カスケーズのデビュー曲だ。
Valiant時代(1962-63)のシングル盤とアルバム収録曲 There's A Reason / Second Chance (Valiant 6021) 1962 Rhythm Of The Rain / Let Be Me (Valiant 6026) 1962 Last Leaf / Shy Giel (Valiant 6028) 1963 My First Day Alone / I Want To Be Your Lover (Valiant 6032) 1963 Dreamin' (Valiant W-405) 1963 Was I Dreamin' (Valiant W-405) 1963 Angel On My Shoulder (Valiant W-405) 1963 Lucky Guy (Valiant W-405) 1963 Punch And Judy (Valiant W-405) 1963
今回採りあげたのは、多くのヒット曲を放ち、日本でもよく知られているオーロンズ(The Orlons)。女性3人、男性1人のグループで、男性がバリトンを担当し、女性ヴォーカルにアクセントをつけ厚みを加えた。ちょっとユニークなガール・グループかもしれない。彼らについては、ネット検索すれば詳細な情報を得られるので略歴のみ記す。 オーロンズは、1960年、ペンシルバニア州フィラデルフィアで結成された。前身は、50年代末に結成された Audrey & The Teenettes で、Shirley、Jean、Audrey のBrickley 姉妹と、クラスメイトの Rosetta Hightower、Marlena Davis のクィンテット。しかし、Shirley の妹たちは幼かったので、Shirley、Rosetta、Marlana の3人に、高校の友人で、ローカル・グループ、The Romeos のリード・ヴォーカルだった Stephan Caldwell を加え、オーロンズとグループ名を変えて活動を開始した。オーロンとは合成繊維の商品名である。 彼らは、友人のレン・バリー(Len Barry)の推薦により Cameo-Parkway の専属となった。Cameo-Parkway は、チャビー・チェッカー(Chubby Checker)やボビー・ライデル(Bobby Rydell)らスターを擁するポップスの名門レーベル。レン・バリーも、ダヴェルス(The Dovells)のリード・ヴォーカリストで61年に全米2位の"Bristol Stomp"を放ち、その後独立すると"1-2-3"(65年)で全米1位を獲得、スター・ダムにのし上がった。実際、60年代前半の Cameo-Parkway はヒット・チャート上位曲を連発する破竹の勢いだった。 Cameo-Parkway の成功は、チャビー・チェッカーの「ザ・ツイスト(The Twist)」(60年)を始め、ディー・ディー・シャープ(Dee Dee Sharp)の「マッシュ・ポテト・タイム(Mashed Potato Time)」(62年)、「グレーヴィ(Gravy)」(62年)などティーンエージャー向けダンス・ポップスを全米、いや世界中に大流行させたことにあった。もちろん、オーロンズもその一翼を担ったわけだが。 オーロンズは、61年に2枚のシングルをリリースしたがヒットに至らなかった。62年春、ディー・ディー・シャープのバック・コーラスを担当、この「マッシュ・ポテト・タイム」は全米ポップ・チャート1位の大ヒットとなった。その直後、オーロンズは3枚目「ワ・ワトゥシ(The Wah-Watusi)」をリリース。この曲は全米ポップス・チャート2位の大ヒットを記録、彼らも一躍スターの仲間入りを果たした。その後、63年にかけて"Don't Hang Up"(4位)、"South Street"(3位)、"Not Me"(12位)、"Crossfire!"(19位)と快進撃を続けた。なお、ほとんどの曲のリードは Rosetta Hightower が担当した。 しかし、64年になると、Marlena Davis と Stephan Caldwell が抜け、Shirley の妹、Audrey Brickley らが参加した。68年まで活動を続けたが、もはやヒットを生み出すことはなく解散に至った。その後、Rosetta Hightower はイギリスに移住、Shirley Brickley は1977年に自宅侵入者に殺害され(32歳)、Marlena Davis は1993年に肺癌で亡くなり(48歳)、Audrey Brickley は2005年に呼吸障害症候群で亡くなった(58歳)。
I'll Be True / Heart Darling Angel (Cameo 198) 1961 Happy Birthday Twenty-One / Please Let It Be Me (Cameo 211) 1961 The Wah-Watusi / Holiday Hill (Cameo 218) 1962 Don't Hang Up / The Conservative (Cameo 231) 1962 South Street / Those Terrible Boots (Cameo 243) 1963 Not Me / My Best Friend (Cameo 257) 1963 Cross Fire! / It's No Big Thing (Cameo 273) 1963 Bon-Doo-Wah / Don't Throw Your Love Away (Cameo 287) 1963 (64年以降は省略)
今回選んだ曲は、70年代に入手したファースト・アルバム"The Wah-Watusi"の中から一番好きだった"I'll Be True"を期間限定でアップしておく。この曲は彼らのデビュー曲であり、唯一 Marlena Davis がリードを担当している。2枚目のシングル"Mr. Twenty One (Happy Birthday Twenty-ne"もお気に入り曲のひとつ。Shirley Brickleyがリードをとっている。これら2曲はヒットしなかったが、なかなか味わいのあるドリーミー・ポップス。それが故に、あまり新味も特徴もなくヒットに至らなかったのだろう。最後に、時代の流行を採り入れ、最大のヒット曲となった"The Wah-Watusi"を、YouTube(DJ風景が入っているが他になかったので)からアップしておきたい。